ふらふら雑記ログ

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趣味の読書から日々の雑感まで

【日記】自分を信用できますか?

 少し時間が空いてしまいました。今日はただの日記です。

 すごく暗いです。ご注意ください。

 

 

 

 実は最近、生きている感が非常に希薄です。

 ありがたいことに私は比較的恵まれている環境にいますので、親からの資金援助を受けながら、奨学金という名の借金を背負い、近頃はあまり行けていないアルバイトに行って微々たる金を稼ぎ、授業をかったるく受けるという極々一般的な大学生をしています。

 

 そんな生活を繰り返しているわけなのですが、忙しい時にはあまりわからなかった『生きている感じ』が最近ありません。

 じゃあ余裕をもって生活が出来ているのかというと、金銭的に余裕があるとか、時間的に余裕があるとか、そういったことは正直全くありません。

 金銭的に余裕があるならば奨学金は不必要ですし、時間に追われていないことは大学生活においては決して来ることのない境地ではないかと思います。

 

 ですが、本当に、最近は『生きている感』がしないのです。

 

 ちなみに、こういった精神状況は好ましいものではないのかもしれませんが、個人的には一生これでも構わないと思ってもいます。

 ぐだぐだと生活し、好きな本や漫画を買って音楽を聴き、ほどほどに食べてぐっすりと眠る。

 いわゆるニートであるかもしれません。ですが、ニート時代は本当に居心地がいい生活でした。

 もし可能ならば、そんな生活で一生を過ごしていきたいとすら思います。

 

 ただ、残念ながら、そんな生活にだって終わりが着々と近づいてくるわけです。

 終わりは、最早はっきりと見えている時期に差し掛かっています。

 にもかかわらず、そんな生きているのか死んでいるのか分からないような生活が、あのただひたすらに時間がある浪人時代ではなく、まさにこの今来ていることに、私は言いようのない気持ちを抱いています。

 

 実は、このブログを始めようと思ったのも、「私が今、生きているという証拠を残してみよう」と思ったことが切欠です。

 おそらく、原因は分かっています。

 

 現時点において、未だ就職が決まっていないことが偏に原因でしょう。

 自分の中で、認めてもらいたい欲求が隠し切れないのだと思います。

 そこまでわかってはいます。

 

 ただ、じゃあそんな『私』にもし言葉をかけるとしたら、どういった言葉をかけるか考えてみると、

『それで?』なんですよね。

 

 私は、人生で一番、私自身を信用していません。

 自分の弱さは際限がなく、自分の狡さも、醜さもまた際限がない。そんな人間だと確信すら抱いています。

 私は私自身が信用ならないが故に、他人の目を信用します。

 他人が信用してくれるような自分を作り上げることで日々を過ごしてきました。

 どうせ今回も、うまくいかせる覚悟がないくせに、何をたわけたことを高望みしているのか。

 そう率直に思ってしまうぐらいには、私は私を信用していません。

 

 

 人はみな、社会の中で他人と関わりながら生きていく必要があると聞いたことがあります。

 私一人しかいない世界において、『私』を知りすぎた人間はいずれ自壊するしかありません。

 もしかすると、自問自答を繰り返していたあの浪人時代は、私にとって非常につらく、殻に閉じこもっていく方向に働いたのかもしれないですね。

 

 よく、自己肯定感なんて言葉を耳にする関係の学部にいます。

 私に自己肯定感なんてものは存在しません。

 強いて言うならば、「どんなに努力が必要なときであっても、いずれきっと力を抜いて、全力を出すことは出来ないだろう」というひねくれた信頼感です。

 私の評価は私に決めさせてはいけないとすら思います。

 

 完璧主義なのにどこか妥協してしまう自分と、高すぎる理想の自分。

 プライドが高いのだと思います。崩されたくないのでしょう。

 自己愛が強いのだと思います。力不足を感じたくないのでしょう。

 

 自信が正常に働いている人がうらやましく思います。

 日々を全力で積み重ねることができている人をうらやましく思います。

 

 散々した失敗が、今の私を作っています。

 例えばイチロー選手も数多く失敗を重ねることがあったでしょう。

 そこまでは見ないにしても、いわゆる『普通の人々』も、失敗を乗り越えてきたのでしょう。

 

 

 どこで、こんなにも違いが出たのでしょうね。