生きるのは最高だ、といえるようになったBUMP(後半)
いよいよ本題に入りましょう(笑)
先の記事はあくまでも私のバックボーンですので、まぁどうでもいい部分だといえますかね。
面倒な部分をいきなり見せてしまったと思います。
それでは、今回もまた長文です。
よろしければ最後まで、お付き合いをお願いします。
3.「ray」を聴いた時の衝撃
今回はまどろっこしいのはもう面倒くさいと思うので、単刀直入に結論から言いたいと思います。
「ray」を聴いた一番の衝撃、それは、歌詞の中に、
『生きるのは最高だ』
というフレーズが入っていたことです。
前記事でも述べたように、バンプの楽曲は比較的とがっていたことが多く、あるいは絵本的な雰囲気を持った、それでいて鋭利な言葉で感情を割き出すことが多いイメージがあります。
しかし、実は最近―――具体的にはorbital period以降―――の楽曲が『変わってきている』といわれています。
昔ほどの強烈な感情の発露が少なくなり、アップテンポで叫ぶことができる楽曲が少なくなってきたということがそれに当てはまるのだと思います。
『ガラスのブルース』や『乗車権』のような、はたまた『ナイフ』や『バトルクライ』のような、『続・くだらない唄』や『グロリアスレボリューション』のような、そんな生々しくて痛々しいほどに感情をぶつけてくる曲は、確かに減っているのだろうと私も思います。
荒々しく激しい、そして感情を思うままに吐き出せるような楽曲が減り、どこか静かなキラキラした曲が多くリリースされるようになったということは、確かに私も感じるところではあります。
これはバンプファンの中でも毎度毎度大きな話題になるもので、どうしても疾走感と荒々しさを好む、いわゆる「昔はよかった」ファンと、「今もいい」あるいは「今の方がいい」のファンが、動画のコメント欄などでぶつかることもよくあります。
実際のところ多くのアーティストで、この「変わった変わらない論争」は勃発するものだと思います。個人的な意見を言わせてもらえるならば、それは所詮人の好みの問題で、アーティストも人間なのだから、変わりもするだろうという気持ちです。
閑話休題。
バンプのいつの時代が最もいいかなどという非建設的なことは置いておいて、『ray』の話ですね。
バンプの楽曲のこれまでの歌詞では、避けているのだろうと思うぐらい「好き」だとか「愛してる」だとか、そういった言葉が安直に使われることはありませんでした。
藤くんは、雰囲気をうまく作り出して気分を伝える、さながら小説のような歌詞の作り方が本当に天才的だと思います。
楽曲自体にラブソングが少なく、流行りのJポップのような、内容の薄っぺらい人生賛歌も1つもないので、
そんな藤くんが、藤原基央が、
「生きるのは最高だ」
なんて安直な言葉を、
まさか歌詞の中で使う日が来るとは全く想像もしていませんでした。
4.なぜ、このフレーズを選んだのか
先にもタイトルにも述べているように、私が「ray」という曲を聴いて、一番驚いたことは、初音ミクとのフィーチャリングではなく、
『藤原基央という人物が、遂に「生きるのは最高だ」と、率直に表すことができるようになった』
ということです。
それの何が衝撃なのか?
その衝撃の本質は、別に「生きることを肯定したこと」ではありません。
そもそも、バンプの楽曲のうち、人生を否定したり世界を否定したりしている曲は、私の解釈の上では存在しません。
どれだけ暗い楽曲であっても、どこかで人生の全てを受容している雰囲気があります。
不安や不満、憤りや哀しみ、うまくいかないことそのものなど、そういった全てを含めて、バンプの楽曲は感情を表現していると思います。
人生はつらく、悲しく、苦しく、たまに良い。うまくいかない自分も、理不尽な世界も、全てはいっそ美しい。
そしてそれは、私のように安直な言葉選びではなく、選び抜かれたフレーズで、楽曲の中に仄かに、そして確かに感じることができるわけです。
バンプの歌詞は、難解なことがあります。
歌詞解釈のブログも多々ありますし、せっかくなので、次は「ray」の歌詞解釈をしてみようかなとかも思います。
そんな彼らが、「生きるのは最高だ」というようになった。
このことは、私にとって本当に衝撃でした。
バンプは確かに変わった。それも、きっとものすごい大きく。
そう感じさせられるようなワンフレーズでした。
ただ、どうしても気になってしまいました。
なぜこの言葉を選んだのか?
どうしてここまで率直なのか?
私の中では、以下のことが考えられると思います。
(1)バンプ(藤くん)そのものが、率直にそう思えるようになった。
これは、現実問題として答えに近いのかな、と思ったりもしています。
この「ray」の前に「HAPPY」という楽曲が出ています。この曲は個人的に、最も「ray」と雰囲気が近い曲であると思っています。
タイトルがそのまま「ハッピー」であること、曲の中で「Happy Birthday」というフレーズがあること、何より、
「消えない悲しみがあるなら 生き続ける意味だってあるだろう
どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に歌おう」
というフレーズがあることです。
藤くんは、この「HAPPY」においても、「生きよう」と、「生きろ」と、ほぼ直接的に言っているわけです。
若いころは思えなかった感覚が、年齢を重ねるにつれて強く思うようになった。
最もそのことを強く伝える言葉として、「生きるのは最高だ」というフレーズとして現れたということではないか。
そう感じています。
(2)誰かに、誤解される余地がない言葉で伝えたかった。
バンプの歌詞は、様々な人が様々に受け取っています。そして、それは特に問題になりません。
しかし、逆に言えば、多くの解釈ができることで、統一的な解釈が出来えないということでもあります。
これは、自分のメッセージを発する側にとって絶対的な気持ちを伝えたいときには致命的な問題です。
もしかすると、藤くんが、大切な友人(あるいは恋人……?)など、どうしても明確な思いを伝えたい相手が居たのかもしれません。直接的な言葉で伝えなければならないような、そんな理由があったのかな、とも思いました。
(3)初音ミクに言わせたかった、あるいは言いたかった。
「ray」は初音ミクとのフィーチャリングバージョンがあります。藤くんとミクが交互に歌うような、デュエット形式なのですが、「時々熱が出るよ」というフレーズを初音ミクに歌わせる場面があります。
私はこれを、決して熱が出ることのない初音ミクに、リスペクトとも、大いなる皮肉とも、また、初音ミクからのメッセージともとれるようなワンフレーズだと感じました。
「じきにボーカロイドも熱が出るようになるよ」「もう風邪を引いて熱が出るぐらいの存在になってるんだよ」と言わんばかりのフレーズです。
おそらくこれは考えすぎだと思いますが(笑)
同様に、私は「生きるのは最高だ」というフレーズにも、似たような感じを受けました。
- 生きることは最高だよ、という素直な言葉。あるいは歌詞解釈上の意味を持つ、素直な言葉。
- 生きていることは最高だよ、という初音ミクからの言葉。
- 生きていることが最高なんだよ、という初音ミクへの挑発の言葉。
最後のは藤くんの人間性的にありえないとは思うのですが、視界が歪んでいる私から見ると、そんな意味に受け取ることも、無理くりですができると思っています。
ただ、私は、この「生きるのは最高だ」というフレーズは、「生きていない」初音ミクをフィーチャリングアーティストに選んだからこそ、選ばれた言葉なのではないかと感じています。
生きていないミクが、生きているバンプと「生きるのは最高だ」と唄う。
この次元の交差を際立たせるために、あえて、「生きるのは最高だ」という率直なフレーズを選択した。
普段から歌詞に他の歌詞の世界が入り込んでくることがあるバンプだからこそ、このような言葉をわざと採用したのではないかとも思うわけなのです。
さて、こんなにもな長文にお付き合いいただきありがとうございました。
私が初めて「ray」を聴いた時の衝撃が少しは感じられたでしょうか?
最初の頃は、「初音ミクはちょっと無理矢理じゃないか?」とも思ったりしましたが、今ではフィーチャリングバージョンの方が好きなぐらいになりました。
もうちょっと疲れてしまったので、今日はこの辺で終わります。
ギリギリ19日中に出来るかな?
BUMP OF CHICKEN、いいバンドですよ、いい曲多いですよ。
是非、興味を持たれた方はYouTubeなどで見てみてください。
平均的な長さが分からないのですが、長々とお付き合いありがとうございました。
次回は歌詞解釈をしてみるか……?
ま、未定なのでそのときに。
よろしければ、またお付き合いをよろしくお願いいたします。
では。
とりやまちとせ